改善例

■親子の会話がないどころか、親子・夫婦断絶が原因で不登校になっている生徒がいました。カウンセリングではご夫婦に、ある提案を行い、実行1週間でお互いに歩み寄り。その後、丸一日話し合い、夫婦仲も不登校も解消したケースがあります。

■子育てを「母親任せ」にしているのお父さんは、数多くいます。あるお父さんは、カウンセリングの結果、得意科目を不登校のわが子に週3~4日教えてくれるようになりました。その結果、F高校1年に再登校し、留年しないで済んだのです。

■成績が下がっている場合、単に集団授業を受けたり、個別指導をするだけでは、遅れを取り戻すことはできません。試験の問題と解答を分析し、その根本的な原因を把握して、その子にあった学習方法を提案することが重要なのです。映像授業や、基礎事項の繰り返し指導、集団個別の質問指導などを行い、成績がぐんぐん上がった子は数多くいます。

■大変おとなしく、人とコミュニケーションを取るのが苦手な子でしたが、高校の自己計画型修学旅行でカンボジアの少数民族の家に住み、電気も水道もない生活を一カ月も行った子がいます。私たちが計画立案をサポートしました。現在では大学を卒業し、今や社会人3年目です。

■母「あ~あ、またガミガミ言っちゃった」、娘「つい、お母さんなんか、大きっらい!って言っちゃった。」・・・それは心理的に言えばゲームです。私達からのアドバイス(攻略法)で、良好な親子関係になった場合はたくさんあります。

■スマホやオンラインゲームに依存していた生徒ですが、今は130分と時間を決めて、勉強をし始めています。単に時間を決めるだけでは、実行できません。生徒の行動パターンや正確を見極めたアドバイスが、ポイントです。

■子どもの頃素直な子ほど、反抗期がきつい傾向にあります。「くそじじい、くそばばあ」と言って、学校内をバイクで乗り回したりした子でも、当フォーラムにてしっかりと向き合い対応した結果、「お父さん、お母さん」と呼び、お店の手伝いをするようになりました。

そんなアドバイスで娘がこんなに変わったんで

【なやみ】

Eさん(当時18歳)

東進衛星予備校(当グループが運営)に通う、H高3年生。これまで父親の言われるまま、S中学からH高校に進学し、いま大学の専攻まで決められてしまう。どうしたらいいか。「私はなりたい職業があって、行きたい学部があるんだけと、お母さんに相 談しても、それはお父さんに言ってと言われ、でも、お父さんに面と向かって言えないんです。」

 

【心のサプリ】

「予約受付ノート」に書かれる文字が、とても小さいことが気になっていた。「この予約受付ノートに書く時も、学校の授業の時も、 友達にメモ書きする時も、どんな時も、字をめいっぱい大きく、強く、はっき りと書くようにしてごらん」とアドバイスを行った。また随時、自分の意見を言う練習を行った。

【その後】

2ヶ月後、父親が校舎を訪れて来た。「この間、娘が初めて私に意見しにきたんですよ。それはそれは嬉しくて。静大の教育学部に行って小学校の先生になりたい、って言ってきたんで、『そうかそうか、そうしなさい』って言ってやりました。小さい子の時からずっといい子ですが、大人しく、それこそ反抗期もなくきた娘でして。そんな子が初めて私に自分の想いを言ったんです。」「娘が東進の先生に、『毎日字を大きく書きなさい』ってアドバイスしてくれた、って言うんです。えっ? それだけ?私は、そんなアドバイスで娘がこんなに変わったんで、お礼方々是非先生にお会いしたくて来ました。」


どうか僕に勉強をさせ て下さい。

【なやみ】

A君(当時14歳)

せっかく不登校解消プログラムによって登校再開したにもかかわらず、テレビとゲームにはまり、全く勉強しなくなった。「でも、僕はあ の番組が好きなんです。ゲームは、友達みんなやってるし。」と反省が見られない。ご両親が途方に暮れて相談してきた。

【心のサプリ】

家にある教科書や勉強道具をすべて封印。両親と学校の許可を取り、学校には登校させず、朝から夕方までフォーラムの教室やその周辺を掃除させた。

【その後】

3日目に「先生、本当に掃除ばかりで勉強させてくれないんですか?」、4日目に「先生、やはりお願いですから、少し勉強させて下さいよ。」、5日終了後の夜、両親とともにやってきて「どうか僕に勉強をさせて下さい。テレビも見ないし、ゲームは先生に預けます。お願いします。」と懇願した。両親も私に「お願いします!」と頭を下げてきた。「いやいや、これは私ではなく、ご両親が決めることですから。」と伝えた。

翌週の月曜日から彼は両親に登校を許され、下校後 5 日間は、これまでの作業のお礼に、主要 5 科目の勉強を教えた。そして、美術や技術などの作品等も遅れて提出した。


鉛筆を持つと、やる気が失せるんです。

【なやみ】

S君(当時13歳)

勉強をやらない、授業中寝てしまう、相手がイラつくことを言う。高機能自閉症のグレーゾーンとも言われた。精神安定剤を2種類、精神刺激剤を服用。彼が小学校4年生の時採ったWISC-Ⅲの結果を見せてもらった。注意記憶と処理速度が、年齢平均を下回っていた。心理テストも採った。自信と社会性、自立性の無さが目立った。 

【心のサプリ】

ある昼下がり、彼と向かい合った。「どうして勉強しないの?」彼は答えなかった。沈黙が続いた。30分経った。私が初めて経験する沈黙のカウンセリングであった。表情に変化が現れた。「う~ん」、「うん?」。「う-ん」、「え?」と、目での会話が始まった。「わからないんだよね、鉛筆を持つと、やる気が失せるんです。」遂に沈黙が解けた。「どんな気分になる?」「すんごく嫌な気分になるんだ」「そう?」・・・ 私は、彼の前に椅子を置いて、「エンプティ・チェア(空いす)療法」を試みた。

【その後】

彼の母親は彼が 5,6 歳の頃、なかなか文字や自分の名前が書けない彼を、椅子 に縛り付けても書かせて覚えさせた。嫁という立場もあり、かなり焦っていた ようだった。「エンプティ・チェア」によって、5,6歳の彼と、彼の中のその時のお母さんと、じっくり対話させた。対話は45 分ほど続いた。

その日以来、母親の世話になることなく、自分の足で歩いて通塾し始めた。中学卒業後、地元の専修学校を卒業し、ゲームクリエイター養成の専門学校に通い、現在ではゲームクリエイターとして働いている。


基礎学力が足りないために

【なやみ】

B君(当時17歳)

専門学校に通っていたが、学習中にパニックを起こして泣き出してしまう。学校側は、病院に行ってその症状を治すように保護者に指示。困った父親が、ひとづてに当フォーラムのことを知り、相談してきた。

【心のサプリ】

中学生の基礎学力が身に付いていないため、特に専門教科が分からず、かといって資格を取るためにどうしても単位を取らなければならない。そんなストレスが積もり積もってパニックを起こすようになったと分析。また、家族という限られた人間関係の中で過ごしてきたようで、少し自立が育ってないように感じた。

そこで見知らぬ大人ばかりが参加する、西伊豆への交流合宿(カヤック、磯釣り、温泉旅館)に誘い出した。

【その後】

合宿の活動全般について積極的に参加。また、強風に煽られ全く進まなくなったカナディアンカヌーを助けるため、自分の判断で海に飛び込み、一緒に漕いで助け出すという行動を取った。

この勇気ある行動を、参加した大人たちがたいへん称賛したことが、彼の自信に繋がり、合宿から帰ったその夕方から、学習に意欲的に取り組むようになった。

それ以降、パニックを起こすようなことはなくなった。


学級崩壊の解消

【なやみ】

D君(当時11歳)

「長野県C町の孫が、5月から不登校になってしまった。」と焼津の方から相談があった。「学校が楽しくない」「怖い」、給食前に帰ってきてしまう。1学年1クラス(20名)で、クラスメイトとは仲がよく、家にもよく遊びに来る。原因が全く分からない。

【心のサプリ】

祖父の話から「学級崩壊が原因でしょう」と回答。その後開催されたクラス保護者会にて、校長先生から全く同じ説明がなされた。原因は1~4年まで受け持ってきた担任が異動となり、新しい担任が従来の指導を否定したこと。児童たちは担任に反発し、授業の拒否をするようになったのだ。校長・担任・保護者と協議の結果、私たちも協力して事態の解消に臨むことになった。

藤枝で行っていた解消プログラムと協働することとし、C町でのストリートダンスショー、天竜杉のカヌーづくりを、企画。プロダンサーの指導を仰ぎ、藤枝の子供たちとも交流しながら、何度も練習と製作会を重ね、翌年夏休みにイベントを大成功させた。

【その後】

児童たちは一致団結し、学校生活に戻っていった。ただし問題の担任は、イベントにも参加せず、児童の信頼を得ることができなかったため、副担任が代りにクラスを受け持つことになった。

最終的には全員卒業式にも参加し、子供たちにとっては望ましい結果となった。


『ありがとう』のきもちでいっぱい

【なやみ】

Oさん(当時14歳)

藤枝市某中学校の教頭先生、担任、カウンセラーからの相談。学校には通うが、授業に出れない。どう対応していいか分からない。

【心のサプリ】

外国に興味があるということだったので、当時計画中のオーストラリア・ペンリス市合宿(春ゆめの大自然交流合宿)に誘う。現地で披露するブレイクダンスショーの練習や、英語研修に加わってもらった。(この研修ではリーダーの割り当て、グループ編成にも心理テストの結果を反映させている。)

【その後】

1月に研修を開始し、様々な人と関わるようになると、AC(順応性)が下がり、FC(自由奔放さ)が上がっていった。笑顔も多くなり、2月末には英語の授業に、3月には全教科出席できるようになった。

無事オーストラリア合宿にも参加し、本来の自分を取り戻すことが出きた。以下、彼女からの手紙の一部「行かせてくれた両親、山下先生、スタッフの皆さん、友達、バディに楽しい時間を過ごさせてくれた人に『ありがとう』の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうご ざいました。またこれからあるかもしれないチャンスを逃さずにたくさんの事を学んでい きたいです。」


娘の気持ちを受け容れることにしました。

【なやみ】

Aさん(当時14歳)

中2の1月から学校にいけなくなった。学校で問題があったわけではなく、心理テストを採っても素因は見当たらない。よく話を聞くと、小1から母子二人三脚で体操教室に通ってきたとのこと。楽しみから競技に変わっていく中で、ひとり悩み、母親に言い出せずに苦しんでいたようだった。

【心のサプリ】

彼女の本心を確認した上で、その場での解決は行わないことにした。オーストラリア・ペンリス市合宿(春ゆめの大自然交流合宿)に参加。

【その後】

現地最後の夜、送別会の盛り上がりの中、Aさんコールが湧き、バック転バック宙を披露、全員の拍手喝さいを浴びた。その夜、話し合いを行い「部活をやめること」を決意。

帰国後、Aさんは復学した。退部を切り出された母は悩んだ。母自身も一緒に頑張ってきて、あと4ヶ月で中体連。娘の活躍が見れると思っていたのに。2週間後、母が訪れ「娘のために、娘の気持ちを受け容れることにしました。」と言ってくれた。


自分を表現することの大切さ

【なやみ】

Kさん(当時14歳)

小6のときにいじめにあった。グループを組んで問題行動を起こす同級生達が許せなかった。中学に入って1年半、教室に入れず、相談室で過ごした。ひとりで本を読んだり考えたりするのが好きで、ともだちも作れなかった。

【心のサプリ】

中学の出席認定を取りながら、当フォーラムで学習。この年よりはじまったオーストラリア・ペンリス市合宿(春ゆめの大自然交流合宿)に誘った。当初は渋っていたが、数少ない中でも、特に仲の良かった同級生が参加してくれることになり、心を決めた。

【その後】

グループでの研修を重ねる中で笑顔が出るようになった。心理テストを採るとCP(厳格さ)とAC(順応性)が下がっていき、NP(おもいやり)とFC(自由奔放さ)が上がっていった。オーストラリア合宿後も野外活動などに参加し、授業復帰や友人関係構築もできるようになった。

以下、彼女の手記「オーストラリアでは自分を表現することの大切さを知りました。慣れない英語を使い、現地の人達とコミュニケーションすることはとても大変だったけれど、とても 楽しいものでした。たった5日間でしたが、世界の広さを知ることもでき、すばらしい経 験をさせてもらったと思っています。」


お母さんがいなく、ずっと寂しかった

【なやみ】

Aさん(当時15歳)

中学2年のときから不良グループ7人のリーダー。万引き、授業妨害、不純異性交遊、夜遊び、喫煙・・・。とうぜんながら学力低下(200点→120点)。

【心のサプリ】

塾生でもあったことから、くだらない話をしたり、サボっていた勉強を教えながら、心を開くのを待つ。やがてポツリと話し始めた。「〇〇たちに無視され、学校で居場所がないんです」「先生、私 ね、毎日学校から帰ってきてもお母さんがいなくて、ずっと寂しかった」「私 ね、お父さん、お母さんの期待に応えるのにね、必死だったんだ」

それから中学の出席認定を取りながら学習指導、老人ホームへ泊まり込んでのお手伝い、仲間一人ひとりとの話し合いを続けた。

【その後】

彼女が復学に向けて動き始めた12月、仲間のBから呼び出しがあった。1人で公園に向かったAを、仲間たちが取り囲む。万引きの罪を、仲間にかぶせたのが「無視」の原因だったのだ。

話し合いが始まって20分後、笑い声が聞こえた。お互いに悪かったこともあったし、言いたいこともあった。でも、このまま卒業しちゃうのは嫌だよね、仲間だもん。一人ひとり思いを話し、謝り合ったよと、Aから聞いた。「いい友達だね、よかったね」と、母親は涙ぐんだ。


アメリカ留学が必要だった理由

【なやみ】

I君(当時15歳)

中3当時優秀な成績だったが、病欠をきっかけについていけなくなり、不登校に。望まない高校に進学するも、そこでの勉強にも苦労し、高1で中退。親と口論することもしばしば。

【心のサプリ】

現在の状態を自分で受け入れる事が必要と考え、「ひきこもり」状態をしばらく解消しないことを両親に提案。

【その後】

中退から2年後、コンピュータに興味を持ち始めた。日本で学校に通うことが苦痛に思ったこと、また専門的に学べる学校がないことから、アメリカ留学を決断。英語の猛勉強を開始。

最初のTOEICで830点(990点満点)を取り、ワシントン州の短大に入学。そこでの優秀な成績が認められ、ワシントン大学に編入。主席で卒業し、日本の自動車関連企業でカーナビの開発業務に就くことができた。その後届いた手紙には、親や周囲の人たちへの感謝が綴られるとともに、同じように不登校ひきこもりに苦しむ子供たちの力になりたいとの希望が書かれていた。


夜遊びもしなくなり、逆に変な気分です。

【なやみ】

Mさん(当時13歳)

ご両親からの相談。春休みの3月末、上級生に呼び出され、同級生4人女子とタイマンをはった。その後も、下級生数人を脅したり、仲間内でタイマンを張ったり、集団リンチも。ピアスにたばこ、根性焼きはもちろん、無断外泊に深夜徘徊、不純異性交遊は毎日のよう。

【心のサプリ】

まずは本人と1 日かけてじっくり話を聴いた。仲間は6人。仲間とも時間をかけて話し合った。Mさんはその同級生仲間のリーダー的な存在だった。しかし、周辺に上級生を含め 8 人の男子と9人の女子が絡み、その兄や姉、更には焼津や菊川の中学生グループとも繋がっていた。もちろん仲間の親御さんとも会った。時には深夜徘徊にも、他のグループの呼び出しにも付き 合った。とにかく話し合った。心理テストも採り、プログラムも行った。

【その後】

翌年の4月から毎日午前中3時間、Mさんは当教室に通い、勉強を始めた。中学校はそれを出席認定してくれた。

そして8月、母親からハガキが届いた。「暑中お見舞い申しあげます。暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。お陰様でMもようやく落ちついてきました。夜遊びもしなくなり、逆に変な気分です。お体を大切にお過ごし下さい。 盛夏」


力づくでも止めてほしかった

【なやみ】

D君(当時15歳)

母親からの相談。中学3年の長男が小学校5年から行き渋りが始まり、中学2年の 2学期から完全に不登校に。小6時、心療内科にかかりWISC–Ⅲの検査を受け、言葉での表現がうまくできないと言われた。中2の時には暴力がひどくなったので、 県の児童相談所にも行った。二人の姉たちは共に高校を早々に中退して家を出た(父親との不和)。父親は実家に別居している。

【心のサプリ】

週2回、家族全員、別々に話を聴 いた。家族全員の心理テストも採った。両親は長男が生まれた頃から不仲になり、子ども達の前で罵り合い、暴力も激しく、勝手に家を飛び出ては不安な日々だった と言う。D君は父母の和解を条件に登校を約束し、実際に通い始めた。しかし父母の喧嘩は止むことがなかった。

 

【その後】

彼と両親を呼んで、話し合った。不登校を責める両親「どうしてお前の不登校に、 親の仲直りが関係あるんだ!」、とうとう約束を守らない親への怒りが爆発した。「くそ親父の馬鹿野郎!」と彼は父親に殴り掛かった。とっさに私は彼の腕と胸ぐらを掴み、ドンと壁に押し付けた。「親に向かって『くそ親父』とはなんだ!暴力は許せん!」私は彼に怒鳴り返した。彼の目から大粒の涙が流れた。「ありがとう!先生」。意外な言葉だった。「親父よ-、俺は、グジュ、俺は、苛々して殴ったり暴れてしまう俺をさあ、 グジュ、先生のようにさあ、力づくでも止めてほしかったんだ」・・・ 分かっていても、暴れてしまう。殴ってしまう。物を壊してしまう。「暴走する俺を、身を挺して止めてくれる。俺の親父はそんな父親であってほしい」と願っていたのだ。

その後も関わりを続け、やがて夫婦の和解、親子の和解が始まり、父親は実家から自宅に戻った。彼は中学校を卒業し、高校に進学。専門学校で調理師免許を取得し、県内のホテ ルで働いている。


未処理の感情

【なやみ】

Y君(当時34歳)

進学高を卒業後、S大学に入学。ところが、大学入学1日目で人間関係で崩れ、大学に行かず下宿に籠もり、1年後、退学に踏み切り帰郷。その後もその状態が続き、某精神科に通院。改善どころか益々鬱状態がひどくなる。改善が見られないため他のクリニックに転院。しかし8年の時間が過ぎてしまっていた。

【心のサプリ】

自宅へ訪問してのそば打ち体験(家族が喜んで食べたことで笑顔が出た)、温泉への誘い、同年代の女子を巻き込んでのカラオケ大会など、本人の心と体を開放する活動を実施。

【その後】

カラオケ大会の終盤、様々なやりとりのあと、突然彼は「そんなことはない、こんなことはありえない。」と叫んだ。彼は、これまでの自分が全部否定されるような感覚に陥り、押さえ込まれていた様々な感情が湧き上がり、時折怒号した。その後彼は、女性スタッフの胸に顔を埋め、私を父さんと呼び、幼児返りが始まり、彼 の中に深く押し込まれていた様々な未処理の感情が次々に湧き上がってきた。私は彼の内なる世界=素因を鮮明に見ることができた。私はその一つ一1つを丁寧に処理し、彼の現在の症状の解消を試みた。全てが終わった時は、 もう朝3時前だった。


この心理テストだけで、どうしてそこまで分かるのですか?

【なやみ】

K君(当時14歳)

中学校1年生の4月下旬、7人の友達(21人クラスで)から筆箱を隠されたり、無視されたり、仲間はずれのいじめを受け、不登校に。3年生になっても改善されないため、当フォーラムに相談してきた。

【心のサプリ】

心理分析から、「自分がどう思われているか異常に気にして、あれこれと頭で考え過ぎている。そのために”学校に行かなければならない”という意識を弱くしている。」等々を説明。それを聞いた彼は、「今日初めてお会いし、この心理テストだけで、どうしてそこまで分かるのですか?」と驚きを表す。

そしてCP(父性)の成長を促すため、毎日、新聞の社会面を読み、様々な出来事に対する”批判文”をメールで送るように指示した。早速彼はメールで様々な事件の”感想”を送ってきたが、その都度”批判文”に直して送り返すように指導。当初は毎日書いてきたが、10日くらい経つと休みがちになった。しかし、その都度励まして根気強く送らせた。

【その後】

 

1ヶ月後にはCPが高くなり、自分から「修学旅行に行きたい」と訴えてきた。参加後には「修学旅行は本当に楽しかったです。いじめた子達もいい友達になっていました。先生、これからどうすればいいのですか?」と前向きに。その後、学習指導、国内および海外の交流合宿にも参加。ついには高校受験も見事合格した。母親からは「3年前とは性格が180度変わったよう。とにかくよく喋り、よく笑います」と手紙をいただいた。


みんなと一緒に勉強したかった

【なやみ】

A君(当時15歳)

教師による不条理な体罰(クラスメイトへの)に反発したのをきっかけに、非行に走り、少年鑑別所に送られるまでになってしまった。勉強についていけなくなったことも、学校から遠ざかる原因だったようだ。(A君はひげぐま先生の家庭教師時代の教え子)

【心のサプリ】

自宅でのクリスマスパーティーに参加し、昔話を楽しむ(このときは、近況について問いただすことはせず)。年末に自宅に泊まりに来るよう誘い、2人きりになった夜中に、今に至る経緯を語り合った。叱るのではなく、「バカなことをしたなあ」と笑いあった。

【その後】

翌朝、彼の部屋を覗くと、既に起きて いて、着替えも済ませていた。布団もきちんと畳んであった。彼と私は、近くを散歩した。大晦日の朝である。明日からは彼にとって新たな年が始まることを確信した。

 

芽生えた正義感と、上から押さえられることへの反発、あるいは、自分の行動 を自制し切れない弱さに気付きながら、必死にもがいていたと思われる。2年後に連絡を取ったところ、元気に働いているとのことで安心した。